勢家町(読み)せいけまち

日本歴史地名大系 「勢家町」の解説

勢家町
せいけまち

[現在地名]大分市勢家町一―四丁目・勢家・住吉町すみよしまち一―二丁目・中央町ちゆうおうまち四丁目・都町みやこまち二―四丁目・末広町すえひろまち一―二丁目・千代町ちよまち一―三丁目・高砂町たかさごまち寿町ことぶきまち

府内城下の北西方に位置する。城下北西端の堀川ほりかわ(勢家口)から西進した豊前道が住吉川に架かる仙石せんごく橋を渡り、沖浜おきのはま町を経て当町から駄原だのはる村・生石いくし村へと続く。当町は村方部分と、城下門外の沖浜町西新にしじん町と門内の船頭せんどう町・堀川町の町方部分からなる。建長七年(一二五五)九月一日の造宇佐宮豊後国行事所下文案(宮内庁書陵部八幡宮関係文書)に「勢家津」とみえ、豊後国行事所は宇佐宮南楼造立のための材木調達を高田たかた庄に命じ、きたる一〇月中に勢家津において国行事に材木を引渡すこととした。明応九年(一五〇〇)一月七日、大友氏に捕らえられて勢家旅宿に幽閉されていた宇佐郡衆佐田泰景は脱出に成功、一〇日の夜菩提ぼだい寺に到着、一八日大内方に帰陣している(永正二年七月日「佐田泰景軍忠状」佐田文書)。戦国時代府中絵図(大分市史)によると、府中城下の北西方に南北に延びる道筋が描かれ「勢家」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報