デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「勧心」の解説 勧心 かんしん ?-1273 鎌倉時代の農民。東寺領若狭(わかさ)(福井県)太良荘(たらのしょう)の名主。比叡(ひえい)山でまなぶ。寛元元年(1243)地頭若狭忠清の非法を荘官の定宴や他の農民とともに六波羅(ろくはら)探題にうったえ,裁判で地頭代の定西の罷免(ひめん)をかちとった。文永10年死去。姓は藤井。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「勧心」の解説 勧心 没年:文永10(1273) 生年:生年不詳 鎌倉前期,東寺領若狭国太良荘(福井県小浜市)の草分け百姓,名主。藤井姓。比叡山で学び,下山後,荘内の薬師堂の承仕を勤めた。承久の乱後,地頭若狭忠清の横暴に対し,「百姓之習一味」といわれる闘いの中心として活躍した。 (林文理) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by