定西(読み)ていせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「定西」の意味・わかりやすい解説

定西
ていせい / ティンシー

中国、甘粛(かんしゅく)省東部の地級市。1市轄区、臨洮(りんとう)など6県を管轄する(2016年時点)。常住人口269万8622(2010)。渭河(いが)上流と黄河(こうが)本流との分水嶺(ぶんすいれい)の黄河側に位置し、陝西(せんせい)省の西安(せいあん)より甘粛省の省都蘭州(らんしゅう)を経て西域(せいいき)へ至る、かつてのシルク・ロードの途中にある。現在は隴海(ろうかい)線と蘭渝(らんゆ)線(蘭州―重慶(じゅうけい))が通る。古くは異民族との交易市が設けられた所であったが、宋(そう)代に西域安定の意を込めて定西城、安西(あんせい)城が築かれ、金(きん)代に県となった。二城はのちにまとめられて安定(あんてい)県となっていたが、1914年定西県と改められた。2003年市制施行。交通機能によって成立している都市で、周囲は山地で農業用地も少なく産業には恵まれない。

 2013年7月22日、定西市を震源とするマグニチュード(M)6.6(甘粛省発表の数値)の地震が発生し、死者95人を数えた。甘粛省付近は地震(いわゆる甘粛地震)の多発地帯として知られる。

[秋山元秀・編集部 2017年6月20日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「定西」の解説

定西 じょうさい

?-? 鎌倉時代の武士
東寺領若狭(わかさ)(福井県)太良(たら)荘の地頭若狭忠清の代官。寛元元年(1243)地頭の横暴をうったえる農民らと六波羅(ろくはら)探題で対決して敗れ,地頭代を罷免された。宝治(ほうじ)元年には預所代(あずかりどころだい)定宴(じょうえん)との相論でも敗れた。

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朝日日本歴史人物事典 「定西」の解説

定西

生年:生没年不詳
鎌倉中期の地頭代官。東寺領若狭国太良荘(福井県小浜市)地頭若狭忠清の代官として現地支配に当たる。寛元1(1243)年,百姓らと六波羅探題で対決,「地頭代之濫行」とされて罷免の裁決を受け,宝治1(1247)年,預所代定宴との相論でも敗北した。

(林文理)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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