北京田村(読み)きたきようでんむら

日本歴史地名大系 「北京田村」の解説

北京田村
きたきようでんむら

[現在地名]鶴岡市北京田

覚岸寺かくがんじ村の南にある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ高五四石余、ほかに新田一石余。同年の庄内寺社領目録によれば、ほかに羽黒山領一四〇石余、ぜん(禅)りゆう寺領一石余があった。羽黒山関係の史料では村名は北経田きたきようでんと記されることが多い。寛永三年庄内高辻帳では高九七石余。正保郷帳では覚岸寺村に含まれ、正保庄内絵図(本間美術館蔵)では九二石余。寛文九年(一六六九)検地帳(京田地区文書)によれば、羽黒山領二〇一石余・禅龍寺領三石余を除く村高八二石余、反別七町余。


北京田村
きたきようでんむら

[現在地名]上越市東京田ひがしきようでん

高津たかつ諸村の南方にあり、上江かみえ用水が流れる。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳に京田村がみえ高四一五石五斗余。これは当村と南京田村とを合せた高と考えられる。天和三年郷帳には北京田村がみえ高二〇三石七斗余、うち山高二石五斗八升。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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