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北京議定書 ペキンぎていしょ

大辞林 第三版の解説

ペキンぎていしょ【北京議定書】

1901年9月、中国清朝と一一か国との間に結ばれた義和団事件の講和に関する取り決め。清朝は巨額の賠償金の支払い、北京公使館地区への外国軍の駐留などを認めさせられた。辛丑しんちゆう条約。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北京議定書
ぺきんぎていしょ

義和団事件の講和に関する最終議定書。辛丑(しんちゅう)条約ともいう。中国清(しん)末の排外運動であった義和団事件鎮圧には共同歩調をとれた列強も、その後の状況に対する意図はまちまちであった。そのため講和会義は難渋を極め、約10か月も要した。ようやく1901年9月7日、イギリス、フランス、アメリカ、ロシア、ドイツ、日本などの11か国は、北京で清朝と条約を締結した。条約は全部で12条、ほかに附件19件。おもな内容は、〔1〕ドイツ、日本への謝罪使の派遣、〔2〕事件指導者の処罰、〔3〕外国人が殺害された地方での科挙の停止、〔4〕関税、塩税を担保とした総額4億5000万両(テール)の賠償、〔5〕総理各国事務衙門(がもん)を外務部に改め、六部(りくぶ)の上位に置くこと、などである。この条約で清朝そのものの存続はなお認められたが、しかし中国の半植民地化は決定的なものになった。[倉橋正直]

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