北原千鹿(読み)きたはら せんろく

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北原千鹿」の解説

北原千鹿 きたはら-せんろく

1887-1951 大正-昭和時代の彫金家
明治20年5月16日生まれ。大正末期から昭和初期にかけて新工芸研究会「无型(むけい)」同人となり,工人社設立。昭和2年「置物」(花の折枝)が帝展特選となり,翌年も特選。伝統的技法に近代的な感覚をとりいれた作品をつくった。昭和26年12月29日死去。64歳。香川県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は千禄。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の北原千鹿の言及

【明治・大正時代美術】より

…この点で彼らの主張は,帝展(かつての文展)に工芸の出品を認めさせる運動の原動力ともなっていった。26年に,鋳金の高村豊周や内藤春治(はるじ)(1895‐1979),彫金の北原千鹿(せんろく)(1887‐1951),漆工の山崎覚太郎(1899‐1984),染色の広川松五郎(1889‐1952)らによって无型(むけい)が結成された。帝展に工芸部が設置された27年ころは彼らの活動も高揚し,この年,北原千鹿を中心にして,信田洋(のぶたひろし)(六平,1902‐90),山脇洋二(1907‐82)らの金工家が集まって工人社が結成された。…

※「北原千鹿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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