北原雅長(読み)キタハラ マサナガ

20世紀日本人名事典 「北原雅長」の解説

北原 雅長
キタハラ マサナガ

江戸時代末期・明治期の行政家 長崎市長。



生年
天保14年12月24日(1844年)

没年
大正2(1913)年7月24日

出身地
陸奥国(福島県)

旧姓(旧名)
神保

別名
号=清華,歌仏庵

経歴
会津藩家老・神保利孝(通称内蔵助)の二男に生まれ、北原家の養子となる。藩主松平容保に仕え、京都・蛤門の変で戦い、戊辰戦争では若松城を守って新政府に捕らえられた。明治6年工部省に出仕。のち秋田県書記官、長崎県書記官を経て、22年初代長崎市長に就任。その後、東京・下谷区長も務めた。37年戊辰戦争を初めて反政府側からとらえた文久2年から明治元年に至る記録「七年史」(禅20巻)を刊行した。晩年遠州浜松に隠居し歌仏庵と号した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「北原雅長」の解説

北原 雅長
キタハラ マサナガ


肩書
長崎市長

生年月日
天保14年12月24日(1843年)

出身地
陸奥国(福島県)

経歴
会津藩家老神保利孝の二男。北原家の養子となり、藩主松平容保に仕える。戊辰戦争で新政府軍に捕らえられるが、明治6年工部省に出仕、22年初代長崎市長。

没年月日
大正2年7月24日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北原雅長」の解説

北原雅長 きたはら-まさなが

1844*-1913 幕末-明治時代の武士,官僚
天保(てんぽう)14年12月24日生まれ。会津(あいづ)藩家老神保利孝の次男。北原家の養子。藩主松平容保(かたもり)につかえ,戊辰(ぼしん)戦争で新政府軍に捕らえられる。明治6年工部省に出仕,22年初代長崎市長。37年戊辰戦争をはじめて反政府側からとらえた記録「七年史」を刊行した。大正2年7月24日死去。71歳。号は清華,歌仏庵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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