日本歴史地名大系 「北浜浦」の解説
北浜浦
きたはまうら
慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に北浜とみえる。正保国絵図では北浜浦とみえ、高四四石余。慶安三年(一六五〇)の検地帳(八万村史)では高三五一石余、田一九町八反余・畠六町八反余。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳では田方三九石余・畠方五石余。天和二年(一六八二)の蔵入高村付帳では三四九石余が蔵入地。宝永三年(一七〇六)の検地帳(八万村史)では高六三九石余、田二四町八反余・畠一四町三反余と増となっている。現在でも八万町
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報