日本歴史地名大系 「北王塚」の解説 北王塚きたおうづか 京都府:綴喜郡井手町石垣村北王塚[現在地名]井手町大字井手 石垣相楽(さがらか)別業跡の東方山麓にあり、橘諸兄の墓と伝える。栗隈王の孫、美努王の子として生れた諸兄は、初め葛城王と称したが天平八年(七三六)母方の氏姓の橘宿禰を継承し、臣籍に降下し、同一五年に左大臣となった。井手に別業(相楽別業)をもち、井手左大臣とも称されたが(尊卑分脈)、天平勝宝九年(七五七)一月に他界した(続日本紀)。墳墓の地は確定的でないが、明治四一年(一九〇八)の「綴喜郡誌」は「井手村字井手小字南開(みなみひらき)(旧字北王塚)に在り、井手旧地図に見へたり」とする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報