改訂新版 世界大百科事典 「北西辺境州」の意味・わかりやすい解説
北西辺境州 (ほくせいへんきょうしゅう)
North-West Frontier Province
パキスタン北西端の州。面積7万4522km2,人口1774万3645(1998)。州都はペシャーワル。ほぼインダス川本流以西のアフガニスタン北東国境部に接する諸山地と,その山麓高原地帯からなる。中央をカーブル川が東西に横切り,肥沃な河谷平野(ペシャーワル谷)を形成する。北部山岳地帯を除くと主要住民はイラン系のパシュトゥーン(パターン)族で,州南西部の国境沿いに半独立的な部族地域をつくっている。気候は半乾燥気候で,農業は小麦,トウモロコシ,米,サトウキビ,タバコを主作物とするが,後3者は灌漑の発達したペシャーワル谷を主産地とする。北部山岳地帯の低山帯には松,オークなどの森林があり,パキスタンの数少ない林業地帯となる。その麓の山間河谷はアプリコット,リンゴなどの果物を産する。工業はこれら農産物の加工のほか,家具,銃器などの製造を主とする。
中央アジアからインド亜大陸への門戸ハイバル峠を西にもち,歴史上諸王朝間の争奪の地となっただけでなく,東西文化交流の上でも大きな役割を果たしてきた。前6~前5世紀ころの十六大国併存時代にはガンダーラ国としてあらわれ,前6世紀末にはダレイオス1世の侵入により,一時アケメネス朝ペルシアの属領となった。
前4世紀末にはアレクサンドロス大王が侵入して,前3世紀のマウリヤ朝アショーカ王の時代に仏教が伝播,1~5世紀にはガンダーラ美術が展開し,初めて仏像がここでつくられたという多彩な古代史をもつ。しかし10世紀初めにはイスラム化され,以後アフガニスタンからのムスリム諸勢力の侵入が繰り返され,16~17世紀にはムガル帝国の治下にはいった。1818年からはパンジャーブに興ったシク王国の領土となり,49年の同国滅亡後イギリス領となった。1901年には英領パンジャーブ州から分離して州を形成。英領下にはパシュトゥーン族の反乱が頻発した。47年独立を達成したパキスタンに編入された。
執筆者:応地 利明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報