十三日町(読み)じゆうさんにちまち

日本歴史地名大系 「十三日町」の解説

十三日町
じゆうさんにちまち

[現在地名]八戸市十三日町

八戸城下の中央、表町通沿いに位置する町人町。東は三日みつか町、西は廿三日にじゆうさんにち町、南は十六日じゆうろくにち町、北は上番かみばん町に接する。中央を南西から北東街路が通る。文久年間(一八六一―六四)八戸御城下略図に十三日町とあり、町家とされる。三日町との間に小路の櫓横やぐらよこ町がみえる。「八戸藩史料」などによれば盛岡藩時代の寛永六年(一六二九)城城下の町家を移してつくられた町で、三日町・廿三日町とともにかみ町、あるいは根城ねじよう町と称されたという。八戸城下の中心街を形成する。

南側の西角に八戸三店の一に数えられる豪商大塚屋があり、中央南には文政四年(一八二一)断絶となった当時藩随一の豪商七崎屋が店を張っていた。大塚屋は江州の大塚屋村井伊兵衛が元禄一一年(一六九八)三日町に出店を構えたのが始まりで、のち当町へ移住した(多志南美草)


十三日町
じゆうさんにちまち

[現在地名]盛岡市肴町さかなちよう南大通みなみおおどおり二丁目

北東から南西に延びる六日むいか町の南東に延びる両側町。三町半ほどの町人町で、町名は一三日の市日に由来する(盛岡砂子)。寛永城下図に十三日町とみえる。北東は肴町と遠曲輪の堀に、南西はうま町に接し、町の中央部に肴町より南下する通りが突き当る。そのやや南と南東部で右折し、馬町・こく町を抜けて、大清水おおしみず小路に至る二本の横町が南西へ延びる。幕末の城下図(葛西氏旧蔵)には六日町寄りから一丁目・二丁目・三丁目と記される。文化九年(一八一二)城下の町人町が丁と改められた際にも改称はなかった(御家被仰出)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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