日本歴史地名大系 「十二天塚古墳」の解説 十二天塚古墳じゆうにてんづかこふん 栃木県:足利市助戸村十二天塚古墳[現在地名]足利市助戸三丁目平野部に突出した助戸(すけど)山の南端、助戸川東岸の低台地に位置し、古墳上に十二天社が祀られ、十二天古墳ともよぶ。明治四四年(一九一一)墳頂の大欅を伐採、その抜根の折に遺構や遺物が出土。その際の発掘調査によると、墳頂下約一・三メートルの位置に東西約六・七メートル、南北約一・七メートルの範囲に木炭が敷かれ、木炭の上に円礫が認められる。木棺は腐朽していたが、武器(刀剣五・鹿角装具二・槍身残欠一・鉄小札残欠二)、馬具(轡一・輪鐙二・鈴五・鈴杏葉五・鈴付二・環鈴一)、鏡(円鏡一・鈴鏡二)、服飾品(鈴釧一・瑪瑙勾玉一・碧玉管玉六・瑠璃色玻璃玉八)、鉄器(鉄棒一)などがあったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by