千丁町(読み)せんちようまち

日本歴史地名大系 「千丁町」の解説

千丁町
せんちようまち

面積:一一・二三平方キロ

八代郡の西北に位置し、北はかがみ町、東・南・西は八代市に接する。北西大鞘おざや川・水無みずなし川が流れ、八代海に注ぐ。ほとんどが干拓地で、八代平野の中心部にあたる。東部を国鉄鹿児島本線が、並行して県道鏡線が縦走する。千丁駅を中心として東部の吉王丸よしおうまる西部新牟田しんむた地区が集落の密集地。肥後畳表発祥の地で、水稲イグサ栽培を中心とする純農村。イグサ栽培は戦国時代上土あげつち城主岩崎主馬忠久によって進められたと伝えられる。イグサの栽培面積は明治二二年(一八八九)四四・五ヘクタール、大正一一年(一九二二)一八七・七ヘクタールと伸び、とくに第二次世界大戦後飛躍的に発展、昭和四三年(一九六八)には全国一の三千八八〇ヘクタールとなり、農業の主柱になっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報