日本歴史地名大系 「千久里城跡」の解説 千久里城跡ちくりじようあと 富山県:氷見市泉村千久里城跡[現在地名]氷見市中尾氷見市街地の西方にそびえる竹里(ちくり)山(一三七・四メートル)の山上が城跡で、千久利城とも記される。麓からの比高は一二七メートルで、山頂付近がとくに鋭く切立った景観を示すため、遠くからでもよく見分けられる。山上からは上庄(かみしよう)川沿いに氷見と能登を結ぶ子浦(しお)往来(臼が峰越)の道筋を見下ろすことができ、交通の要衝でもあった。観応三年(一三五二)六月、桃井氏討伐のため越中へ進攻した能登守護吉見氏の軍勢が、氷見湊や三角山(みすまやま)城などを攻めたところ、桃井直信らが千久里城などから駆付け、合戦となっている(同年九月日「得田素章代章房軍忠状」遺編類纂所収得田文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by