日本大百科全書(ニッポニカ) 「千家氏」の意味・わかりやすい解説
千家氏
せんげうじ
古代の出雲国造(いずものくにのみやつこ)家を代々継承してきた氏族。その祖先は天穂日命(あめのほひのみこと)と伝え、出雲の有力首長として、出雲国造は意宇(おう)郡郡大領を兼任した(798年まで)。出雲大社の祭祀(さいし)をつかさどり、1343年(興国4・康永2)には、出雲国造55代とする孝宗(たかむね)が国造となったが、弟の貞孝(さだたか)は別家し、本家は千家を称し、分家は北島を用いることとなった。こうして出雲国造は2流に分かれ、大社の年中祭祀を明治時代までの間、四十八度は千家国造家が、十九度は北島国造家が執行したという。国造千家尊孫(たかひこ)のおりに明治維新となった。1872年(明治5)1月、従来の両国造家による分掌制は廃止され、国造千家尊福(たかとみ)が出雲大社大宮司となり、北島脩孝(ながのり)は少宮司となった。1877年には大宮司の制は宮司制に改められて、千家尊福が改めて出雲大社宮司に就任した。千家はその後も出雲大社宮司を継承して現在に至る。なお、千家尊福は出雲大社教会(いずもおおやしろきょうかい)を組織し、その管長となったが、大社教の管長も千家によって受け継がれている。
[上田正昭]