朝日日本歴史人物事典 「千葉胤秀」の解説
千葉胤秀
生年:安永4(1775)
江戸後期の和算家。通称雄七,流峯と号す。陸奥国磐井郡(岩手県)流郷の人。一関藩士梶山次俊に学び,のち長谷川寛に学ぶ。文政11(1828)年12月に選ばれて一関藩士となる。『算法新書』5巻は師長谷川寛の著とも,本人の著ともいわれるが,天保1(1830)年のもの。他にも多くの著述がある。『算法新書』は非常に教育的に書かれている。一例をあげると,(a+b)3の展開について縦,横,高さとも(a+b)の長さの立方体の体積を求める場合を考え,まずa3の部分が1個,残りにa2bとab2が左右上下併せて3個ずつ。残りがb3であるとする。a2bとab2をabでくくって,a3+3ab(a+b)+b3と説明している。
(道脇義正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報