日本歴史地名大系 「半田口山」の解説
半田口山
はんだくちやま
半田村の南、半田川の流域山間に位置し、南は
慶長二年(一五九七)の分限帳では稲田小八郎(示稙)知行分のうちに半田山分高七〇〇石がみえる。半田奥山と併せた半田山は正保国絵図では「半田村之内半田山」、寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳では半田村枝村として「同山分」とみえるが、いずれも半田村の高に含まれて高付されていた。半田村大久保太兵衛の享和三年(一八〇三)の手控(大久保家文書)によると高三五五石余・家数六五七。「阿波志」では半田口山とみえ、土田の等級は下等、反別二五四町一反余、陸田が一〇分の九、水田が一〇分の一の割合で、家数五九七。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報