半田口山(読み)はんだくちやま

日本歴史地名大系 「半田口山」の解説

半田口山
はんだくちやま

[現在地名]半田町 西久保(にしくぼ)・平良石(ひららいし)・下竹(しもたけ)・日浦(ひうら)・白石(しろいし)・東久保(ひがしくぼ)・蔭名(かげみよう)・上蔭(うわかげ)・高清(こうせい)・京都(きようと)

半田村の南、半田川の流域山間に位置し、南は半田奥(はんだおく)山、東は西端(にしはば)山(現貞光町)、西は三好(みよし)郡毛田(けた)村(現三加茂町)。半田奥山と併せて半田山ともよばれた。天保七年(一八三六)の御用諸帳面請取帳(半田町史)などによると地内は久保・日浦・蔭・平良石・下竹・高清・白石・曾我(そが)の名で構成され、特産として知られた紙のほか、麦・葉煙草・竹木などを産した(「阿波志」、「年代聞見録」大久保家文書)。

慶長二年(一五九七)の分限帳では稲田小八郎(示稙)知行分のうちに半田山分高七〇〇石がみえる。半田奥山と併せた半田山は正保国絵図では「半田村之内半田山」、寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳では半田村枝村として「同山分」とみえるが、いずれも半田村の高に含まれて高付されていた。半田村大久保太兵衛の享和三年(一八〇三)の手控(大久保家文書)によると高三五五石余・家数六五七。「阿波志」では半田口山とみえ、土田の等級は下等、反別二五四町一反余、陸田が一〇分の九、水田が一〇分の一の割合で、家数五九七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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