日本歴史地名大系 「半田河岸」の解説 半田河岸はんだがし 栃木県:小山市半田村半田河岸[現在地名]小山市南半田姿(すがた)川の河岸で、思(おもい)川の上流の飯塚(いいづか)河岸、下流の三拝(さんばい)河岸に近接している。河岸の開設時期は不明。安永三年(一七七四)の河岸運上書留帳(神山美児登文書)では高瀬船問屋は森右衛門・郷右衛門の二人、運上は森右衛門永五〇〇文、郷右衛門は永一貫文であった。寛政五年(一七九三)には郷右衛門が姿川への通船を願出たため、同川流域一八ヵ村惣代が取決めた議定では、通船の日限は八月彼岸の中日より翌春土用入七日までとし、村方が用水入用の際は村方で堰を締切る、入用金は一堰につき六貫五〇〇文を郷右衛門が出金する、用水路の船路口明け部分の仕方・破損は郷右衛門が普請することとなった(「姿川通船議定書」伊沢敬一郎文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by