日本歴史地名大系 「南寺内村」の解説 南寺内村みなみじないむら 岐阜県:大垣市旧安八郡地区南寺内村[現在地名]大垣市寺内町(じないちよう)水門(すいもん)川左岸の平坦地、大垣輪中の中央に位置する。北は大垣城下に接する。南寺とも記し、「新撰美濃志」に「南地(ママ)内村は大垣の南東にありて大井庄なり」とある。往古は大尻寺内といい、天正年間(一五七三―九二)俵(たわら)町が分離したという(新修大垣市史)。江戸時代を通じて大垣藩領。慶長郷帳に南寺村とみえ、村高二〇五石余。正保郷帳には南寺内村とみえ、田高一六七石余・畑高三石余(岩瀬文庫本正保郷帳では高一七二石余)。貞享二年(一六八五)の大垣領村々高帳では高二一一石余。正徳三年(一七一三)の家数二一(新修大垣市史)。大垣宿の助郷を勤める(臼井本元禄郷帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by