南 拾参生
ミナミ ジュウサンセイ
大正期の俳人
- 生年
- 明治27(1894)年
- 没年
- 昭和2(1927)年1月18日
- 出身地
- 大分県大野郡重岡村
- 経歴
- 小学校教員だったが、病のため退職。大分県大野郡重岡村で自ら鶯谷・明星庵と称した独居に数年間の闘病生活を送る。俳句は渡辺水巴に師事し「曲水」に俳句・俳論・随筆などを発表した。没後の昭和12年、大谷碧雲居編により評論感想集「詩心即仏心」「永遠と平安」が曲水叢書として刊行された。また俳句も、同年渡辺水巴選輯「みそ萩」に収められた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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南拾参生 みなみ-じゅうさんせい
1894-1927 大正時代の俳人。
明治27年生まれ。小学校教員だったが病のため退職。渡辺水巴(すいは)の「曲水」に俳句,俳論を発表した。没後に評論集「詩心即仏心」「永遠と平安」が曲水叢書として刊行された。昭和2年1月18日死去。34歳。大分県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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