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渡辺水巴 わたなべ すいは

百科事典マイペディアの解説

渡辺水巴【わたなべすいは】

俳人。本名義(よし)。東京生れ。内藤鳴雪高浜虚子に師事し,《ホトトギス》同人として活躍。1916年俳誌《曲水》を創刊主宰した。瀟洒(しょうしゃ)典雅な句風で,句集《水巴句帖》《隈笹》《富士》《新月》や,文集《路地の家》《妹》などがある。
→関連項目ホトトギス

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

渡辺水巴 わたなべ-すいは

1882-1946 明治-昭和時代の俳人。
明治15年6月16日生まれ。日本画家渡辺省亭(せいてい)の長男。内藤鳴雪(めいせつ)の門人。のち高浜虚子(きょし)の教えをうけ,「ホトトギス」で活躍,大正3年には雑詠欄の代選をつとめた。明治39年「俳諧草紙」創刊。大正5年より「曲水」を主宰。昭和21年8月13日死去。65歳。東京出身。本名は義(よし)。句集に「白日」「富士」,随筆集に「路地の家」など。
【格言など】菊人形たましひのなき匂かな(「白日」)

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世界大百科事典 第2版の解説

わたなべすいは【渡辺水巴】

1882‐1946(明治15‐昭和21)
俳人。本名は義(よし)。花鳥画の大家,省亭(せいてい)(1851‐1918)の子として東京に生まれた。虚子が〈守旧派〉を標榜した大正はじめの《ホトトギス》で活躍,〈春寒く咳入る人形遣(つかい)かな〉(1913)のような江戸趣味的な情調に特色を発揮した。1916年には《曲水(きよくすい)》を創刊,主宰したが,18年の父の死を境にして,その情調に心境の陰影が加わった。27年,〈白日は我が霊(たま)なりし落葉かな〉を得た水巴は,〈静寂境に無遍の霊光を放ってゐる其の白日の玲瓏さ,荘厳さ〉(《続水巴句帖》序,1929)を,自分の生と俳句の理想とするようになった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

渡辺水巴
わたなべすいは

[生]1882.6.16. 東京
[没]1946.8.13.
俳人。本名,義。父は画家省亭 (せいてい) 。日本中学中退後,1900年内藤鳴雪の門に入り,やがて高浜虚子に師事して飯田蛇笏村上鬼城原石鼎,前田普羅らとともに大正前期の『ホトトギス』派のにない手として活躍。 16年俳誌『曲水』を創刊主宰して,澄徹清雅な句境を開拓した。句集『水巴句集』 (1915) ,『白日』 (36) ,『新月』 (47) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

渡辺水巴
わたなべすいは
(1882―1946)

俳人。東京の生まれ。本名義(よし)。日本画家省亭の長男。日本中学中退。若くして内藤鳴雪(めいせつ)の門に入り、1906年(明治39)『俳諧(はいかい)草紙』を創刊、大正初め『ホトトギス』雑詠欄に村上鬼城(きじょう)、飯田蛇笏(だこつ)らと主要作者として活躍し、その作品は父の血脈を継いで江戸情調の流麗な唯美的色調に富むとの評価を得た。16年(大正5)『曲水(きょくすい)』を創刊して昭和俳壇の第一線に活躍を続け、没後『曲水』は妻桂子、次女恭子に受け継がれた。『水巴句集』(1915)、『白日』(1936)、『富士』(1943)などの句集のほか、随筆の著書も多い。[村山古郷]
 冬枯れて那須野(なすの)は雲の溜(たま)るところ
『『水巴句集』(1956・近藤書店)』

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