朝日日本歴史人物事典 「南淵永河」の解説
南淵永河
生年:宝亀8(777)
平安前期の官人。坂田奈弖麻呂と槻本老の娘の次男。嵯峨天皇の皇太子時代,朝野鹿取や小野岑守らと共に侍読の任に当たり,大同4(809)年嵯峨天皇即位ののちは民部少輔,右中弁などを歴任,譲位に際しては勅命により冷然院(跡地が京都市中京区)の別当を兼任した。終生嵯峨との関係は緊密であったが,これも仁愛を心がけて人々に敬慕されたという人柄によるものであろう。承和4(837)年大宰大弐として赴任し,トラブルの多かった同年の遣唐船の発遣から帰国後まで,煩瑣な事務を精力的に処理した。仁寿3(853),天安1(857)年因幡権守に任じられた。なお本姓は息長真人といったが,弘仁14(823)年に兄弘貞と共に南淵朝臣を賜姓。『経国集』に詩を収める。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報