日本歴史地名大系 「南照寺」の解説 南照寺なんしようじ 長野県:中野市松川村南照寺[現在地名]中野市大字中野中野町の中央通りである中(なか)町・大門(だいもん)町を登りつめた旧松川(まつかわ)村字西屋敷(にしやしき)にある。本堂の建物は長野善光寺と同じ撞木造。真言宗智山派京都智積院末で、高井山本願院と号する。本尊は一光三尊の阿弥陀如来で、俗に川東善光(かわひがしぜんこう)寺といわれる。高田(たかだ)本誓寺の由緒留書(本誓寺文書)には、天文二三年(一五五四)頃関東布川の本誓寺本願が中野殿を檀那と定め、「なかのへ御越被成候てハ、なかの殿の御ゑんちやと御なり候、其故ひかりたう(阿弥陀堂)と申て、見事なる御寺ヲ御たて御はんちやうニ候、おりふしたかなし殿きり出被成候而、なかの殿を御たやしたまう」と記し、中野氏が高梨氏に滅ぼされて後は笠原氏のもとに逃れたが、笠原氏もまた高梨氏に討ち取られ、やむなく高梨領の牛出(うしいで)に赴いたところ高梨氏は本誓寺の望みをくんで、「なかのへ御帰有て、阿弥陀とうと申て能御堂ちやうを御たて候」と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by