朝日日本歴史人物事典 「南部政長」の解説
南部政長
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。父は政行。兄師行の養子となり家督を継いだ。最初甲斐国,のち陸奥国に下り,南朝に属して活躍する。正慶2/元弘3(1333)年5月,新田義貞の鎌倉攻めに加わり,その功により,甲斐国倉見山(山梨県南都留郡西桂町),陸奥国糠部郡七戸郷(青森県上北郡七戸町)を与えられた。その後陸奥国に下向した。建武2(1335)年陸奥国で反乱を起こした旧幕府勢力を鎮圧するなどし,建武4/延元2年には北畠顕家に従って西上し,陸奥南朝勢力の中心であった。南北朝動乱の前半は,北奥の根城(青森県八戸市)を根拠地として,足利軍と攻防戦を展開して幕府軍を苦しめたが,次第に苦戦を強いられるようになり,観応1/正平5(1350)年に家督を孫の信光に譲って,隠居した。<参考文献>『遠野市史』2巻
(伊藤喜良)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報