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洞院公賢 とういんきんかた

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

洞院公賢
とういんきんかた

[生]正応4(1291)
[没]正平15=延文5(1360).4.6.
鎌倉時代末期から南北朝時代の廷臣。実泰の子。母は小倉公雄の娘季子。永仁5 (1297) 年侍従,延慶1 (1308) 年従三位,翌年参議,元徳2 (30) 年内大臣。後醍醐天皇の信任を得たが,南北朝分裂のときは京都に残った。北朝の重臣として興国4=康永2 (43) 年左大臣,正平3=貞和4 (48) 年太政大臣に就任。最高の知識人として朝幕の尊敬を集めた。南朝の重臣であった子の実世とは表向き義絶していたが,内々連絡があったらしく,正平6=観応2 (51) 年の天下一統に際し左大臣となり,当時の政界の収拾に大きな役割を果した。日記『園太暦』をはじめ『皇代暦』『歴代最要鈔』などの著書があり,『拾芥抄 (しゅうがいしょう) 』も彼の著といわれる。

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百科事典マイペディアの解説

洞院公賢【とういんきんかた】

鎌倉末〜南北朝時代の公卿(くぎょう)。実泰の子。1330年内大臣,翌年辞官。建武政権成立とともに還任(げんにん),右大臣となったが,南北朝分裂後は北朝に仕えて左大臣・太政大臣を歴任。
→関連項目拾芥抄

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

洞院公賢 とういん-きんかた

1291-1360 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
正応(しょうおう)4年8月13日生まれ。洞院実泰(さねやす)の長男。母は小倉公雄(きんお)の娘。建武(けんむ)の新政で右大臣,南北朝分裂後は北朝の光厳上皇につかえ,太政(だいじょう)大臣となる。正平(しょうへい)一統につくすなど南朝の信頼もうけた。有職(ゆうそく)家としても知られる。従一位。中園(なかぞの)入道相国と称された。延文5=正平15年4月6日死去。70歳。著作に「皇代暦」,編著に「拾芥(しゅうがい)抄」。日記に「園太暦(えんたいりゃく)」。
【格言など】近来武士の所存皆かくのごとし。資をもって,その恥に替えんと欲するか(「園太暦」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

洞院公賢

没年:延文5/正平15.4.6(1360.4.21)
生年:正応4(1291)
鎌倉・南北朝時代の公卿。法名は空元で,中園入道相国と号す。父は洞院実泰,母は小倉公雄の娘季子。阿野廉子は養女に当たる。正応5(1292)年に叙爵,延慶1(1308)年従三位,同2年左大弁,参議となり,権中納言,権大納言,大納言を経て,元徳2(1330)年に内大臣,建武2(1335)年には従一位,右大臣となり,春宮(恒良親王)傅を兼ねる。北朝の康永2/興国4(1343)年左大臣,貞和2/正平1(1346)年太政大臣に進み,光厳上皇の院政では評定衆,院執事を務めた。観応2/正平6(1351)年の南朝による正平一統のときには,左大臣,後院別当に任ぜられて後村上天皇より朝議運営を頼まれ,翌々年には南朝より太政大臣に任ぜられている。公賢は北朝の朝廷の重鎮であり,その識見により南朝方からも信頼されていた。延文4/正平14(1359)年に出家。日記『園太暦』(1343~60)は南北朝時代の重要史料である。公賢は天皇,上皇,幕府,公家からの先例,故実についての質問に対し明快的確に答えており,この日記は後代に儀式,有職故実の有力な典拠とされた。著書には『歴代最要抄』『皇代暦』などがあり,歌集に『中園相国集』がある。<参考文献>林屋辰三郎『内乱のなかの貴族』

(伊東正子)

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世界大百科事典 第2版の解説

とういんきんかた【洞院公賢】

1291‐1360(正応4‐正平15∥延文5)
鎌倉末~南北朝時代の公卿。父は左大臣実泰,母は入道中納言藤原公雄の女,従二位季子。1294年(永仁2)従五位上,1309年(延慶2)参議からさらに権中納言,大納言を経て,30年(元徳2)には内大臣となったが31年(元弘1)の元弘の乱のために辞職した。33年建武政権成立とともに還任し,35年(建武2)には従一位右大臣に昇進した。南北両朝に分裂後は北朝に属し,43年(興国4∥康永2)左大臣,48年(正平3∥貞和4)太政大臣となり,49年牛車に乗って宮中出入りが許された。

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大辞林 第三版の解説

とういんきんかた【洞院公賢】

1291~1360) 南北朝時代の公家。太政大臣。中園相国と称される。南北両朝より信任され、政界の収拾に活躍。また、故実に通じ「皇代暦」「拾芥抄」を著す。日記「園太暦えんたいりやく」は内乱期の重要な記録。

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367日誕生日大事典の解説

洞院公賢 (とういんきんかた)

生年月日:1291年8月13日
鎌倉時代後期;南北朝時代の公卿
1360年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の洞院公賢の言及

【園太暦】より

…鎌倉時代末~南北朝時代初期の貴族洞院公賢の日記。記事は1311年(応長1)より60年(正平15∥延文5)に至るが,散逸した部分も多い。…

【拾芥抄】より

…3巻。編者は洞院公賢あるいは洞院実熙というが,原型は鎌倉中期に成りその後増補が加えられていったものと考えられる。《拾芥略要抄》《略要抄》ともいう。…

※「洞院公賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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