南陽紹弘(読み)なんよう・しょうこう

朝日日本歴史人物事典 「南陽紹弘」の解説

南陽紹弘

没年:尚質5.11.5(1652.12.5)
生年:生年不詳
近世初期の琉球臨済宗僧侶。南陽紹弘禅師は法号で,俗に北谷長老と呼ばれる。沖縄本島中部の北谷の生まれで,13歳で出家し19歳で修行のため日本に渡った。方々を転々としたのち,奥州松島(宮城県)の瑞巌寺で学び,妙心寺派宗統をはじめて琉球に伝えた。帰国後の大半の人生を郷里北谷で送り,病気や病害虫に悩む村人のために祈祷を行ってこれを除去するなど生き仏と崇められた。没後,北谷の長老山の墓に葬られ,毎年村人により墓前祭が行われた。

(高良倉吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南陽紹弘」の解説

南陽紹弘 なんよう-しょうこう

?-1652 琉球の僧。
臨済(りんざい)宗。19歳で日本にわたり陸奥(むつ)松島(宮城県)瑞巌(ずいがん)寺などで修行,江戸東禅寺の嶺南崇六(れいなん-すうろく)の法をつぐ。のち琉球にもどり,建善寺住職となり妙心寺派をひろめる。北谷(ちゃたん)出身で北谷長老とよばれた。尚質王5年11月5日死去。

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