南風原陸軍病院壕群跡(読み)はえばるりくぐんびよういんごうぐんあと

日本歴史地名大系 「南風原陸軍病院壕群跡」の解説

南風原陸軍病院壕群跡
はえばるりくぐんびよういんごうぐんあと

[現在地名]南風原町喜屋武

沖縄戦時における野戦病院で、正式には沖縄陸軍病院南風原壕群。沖縄陸軍病院壕とも。兼城かねぐすく喜屋武きやんの間に横たわる黄金くがに森を中心とした丘陵一帯に、三〇から四〇の壕が掘込まれていた。丘陵中央部に病院本部があり、これを取囲むように東側に内科(第二外科壕群)、南側に外科(第一外科壕群)、さらに道路を隔てて西側に派生する丘陵に伝染病科(第三外科壕群)が設置されていた。

一九四四年(昭和一九年)三月、沖縄守備軍として第三二軍が創設されると、これに伴って将兵傷病に対応するための病院部隊として沖縄陸軍病院が熊本で編成され、のち沖縄に配備されることとなった。部隊は通称球一八八〇三部隊といわれ、医療スタッフは軍医衛生兵・看護婦など三〇〇余名で構成されていたが、沖縄本島内の医師は軍籍いかんを問わず召集されて軍医として配置されたほか、看護婦の多くも県内からの徴用者であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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