喜屋武村(読み)ちやんむら

日本歴史地名大系 「喜屋武村」の解説

喜屋武村
ちやんむら

[現在地名]糸満市喜屋武きやん

喜屋武ちやん間切西端に位置し、北は真壁まかび間切名城なーぐすく村・小波蔵くわんぐわ村、南から西は海に面する。チャン村とよぶ。絵図郷村帳琉球国高究帳に喜屋武間切喜屋武村とみえる。高究帳によると頭高一六五石余、うち田四〇石余・畠一二四石余。喜屋武間切同村どうーむらとよばれ間切番所が置かれた。間切集成図には喜屋武間切番所には真壁間切番所からの宿道と摩文仁まぶい間切からの宿道が福地ふくじ馬場を経て合流し、一本の道筋となって至る。喜屋武村と記された場所には、集落が西側と南側の二方向から見た家並みで描かれ、大きな集落であったように思われる。

喜屋武村
ちやんむら

[現在地名]具志川喜屋武きやん平良川たいらがわ

仲嶺なかんみ村の西にあり、北は兼箇段かにかだん村・安慶名あぎなー村。チャンとよばれる。現在は標高約一一〇メートルの中城なかぐすく湾を見下ろす喜屋武きやんグスクの西にあるが、初め集落はグスクの南東にあったといわれ、古琉球期にさかのぼるとされる。「おもろさうし」巻一四の五三に「きやむもり」という拝所名がみえる。絵図郷村帳では喜屋武村と記される。「中山伝信録」にみえる「祝嶺村」は現在喜屋武に祝嶺原すくんみばる地名が残ることから当村をさしているとみられるが未詳

喜屋武村
ちやんむら

[現在地名]南風原町喜屋武きやん

本部むとうぶ村の東、黄金くがに森の南西斜面に広がる村。チャン村とよぶ。本部村と一括して喜屋武ちやん本部むとうぶとも称される。琉球国高究帳に村名はみえないが、村名を欠いて高のみ記される村があり、喜屋武・中里なかざとう(現喜屋武の一部)照屋ていーらの組合せと考えられる。高頭一八九石余、うち田一二八石余(うち永代荒地一石余)。畠六〇石余。「琉球国由来記」には喜屋武之嶽・名護之殿・仲里之殿の三拝所が本部ノロ管轄としてみえる。稲二祭のとき名護之殿は地頭が神酒を、中里之殿は夫地頭仲里大屋子が五水を捧げる。「琉球藩雑記」に喜屋武地頭として兼本親雲上の名がみえ、作得二石余・知行高二〇石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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