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ひめゆり学徒隊 ヒメユリガクトタイ

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ひめゆり学徒隊

1945年3月、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人、教員18人の計240人が陸軍病院に動員され、負傷兵の看護に当たった。米軍の攻撃を受け、本島南部に撤退。約3カ月間で136人が犠牲になった。両校の同窓会は89年、ひめゆり平和祈念資料館糸満市に設立。2004年に展示内容を一新し、元学徒の証言映像の上映が加わった。

(2016-05-03 朝日新聞 朝刊 神戸・1地方)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ひめゆり学徒隊
ひめゆりがくとたい

沖縄戦当時、県立第一高等女学校、沖縄県師範学校女子部の生徒で組織された学徒看護隊の名称。1944年(昭和19)12月、米軍上陸必至とみた軍・県当局は、中等学校生徒を戦力化する方針をたて、女生徒が看護隊として組織されることになった。翌年3月下旬、沖縄戦が開始されると、看護隊は各部隊に配属、投入され、5月下旬以後、戦局悪化に伴う戦場で死線をさまよいながらも傷病兵の看護にあたった。ひめゆり学徒隊320人のうち170人は戦死。沖縄戦の過酷さを象徴するものとして小説、映画などで紹介された。沖縄県南部の糸満(いとまん)市伊原(いばる)に彼女たちが看護にあたった洞穴(野戦病院壕(ごう))があり、その入口に「ひめゆりの塔」が建立され、多くの参拝者を集めている。なお、沖縄戦ではそのほかにも女子、男子の多くの学徒隊が編成されており、「健児の塔」に祀(まつ)られる鉄血勤皇隊も有名である。[高良倉吉]
『仲宗根政善編『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(1980・角川書店) ▽仲宗根政善著『ひめゆりと生きて――仲宗根政善日記』(2002・琉球新報社)』

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