南鷹次郎(読み)ミナミ タカジロウ

20世紀日本人名事典 「南鷹次郎」の解説

南 鷹次郎
ミナミ タカジロウ

明治〜昭和期の農学者 北海道帝国大学総長。



生年
安政6年3月16日(1859年)

没年
昭和11(1936)年8月9日

出生地
肥前国彼杵郡大村町(長崎県)

学歴〔年〕
札幌農学校〔明治14年〕卒

学位〔年〕
農学博士〔明治32年〕

経歴
肥前大村藩士・南仁兵衛の二男で、明治19年分家。幼少の頃藩校、ついで長崎広運館で英語を学び、上京して公部寮、10年公部大学校に入学したが、間もなく札幌農学校2期生に転じ、14年卒業。獣医学・農学研究のため駒場農学校内国留学して、16年母校・札幌農学校助教授となり主に農場経営を担当した。22年教授。世界博覧会審査官として渡米。帰国後、農学全般の講義を担当し、28年には舎監を兼任した。40年東北帝大農科大学教授兼農場長。42年米国に派遣される。大正7年北海道帝国大学として独立すると初代農学部長として佐藤昌介総長を補佐した。12年欧米各国に派遣される。昭和2年退官して名誉教授となったが、5年佐藤総長が勇退したため北大初の選挙による2代目総長に就任老朽化した農学部講堂を新築篤志家から寄付された温室植物園に受け入れたり、厚岸臨海実験所・室蘭海藻研究所を付設するなど、教育と北海道農業の発展に尽力した。任期中に病に冒され、8年総長を辞任学外では北海道農会会長、北連会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南鷹次郎」の解説

南鷹次郎 みなみ-たかじろう

1859-1936 明治-昭和時代前期の農学者。
安政6年3月生まれ。明治22年母校札幌農学校の教授,40年東北帝大農科大学教授。農科大学が北海道帝大となると,農学部長をへて昭和5年2代総長。教育と北海道農業の発展につくした。昭和11年8月9日死去。78歳。肥前大村(長崎県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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