南黒丸村(読み)みなみくろまるむら

日本歴史地名大系 「南黒丸村」の解説

南黒丸村
みなみくろまるむら

[現在地名]珠洲市宝立町南黒丸ほうりゆうまちみなみくろまる

鵜島うしま村の南にあり、浜方では製塩が行われた。集落は内浦街道沿いに集まる。鵜島三箇うしまさんがの一つで、独立分村は元和六年(一六二〇)頃の検地以後と考えられる。同七年の馬渡村山卸し帳(新谷文書)に黒丸与とあり、鵜島村黒丸与ということであろう。村名は長百姓の黒丸市兵衛にちなむとされる。なお史料上は黒丸村であるが、若山わかやま地区の黒丸村と区別するため、明治一一年(一八七八)に南黒丸村と改称した。正保郷帳には鵜島村の内に含まれ、天保郷帳でも同様と考えられる。承応三年(一六五四)の能登奥両郡収納帳では草高二五六石余、免五ツ一歩、夫銀一八二匁余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高二六九石、免六ツ二歩、小物成は山役一三〇匁・鳥役二匁、猟船櫂役一一〇匁(うち五〇匁が出来)、網役二四匁(三箇国高物成帳)。宝暦七年(一七五七)半右衛門は年貢の大幅な不足をきたしたため、持高・家屋敷・山・百姓面などすべてを同名中に引渡し、未進分の充当に売払うことも、後年苦情を言立てることもしないとする口上書(角谷文書)を役人中と同名中に提出している。安永九年(一七八〇)の木郎組品々帳(谷内文書)では高二〇七石余、百姓数五九のうちには持高七二石余の市兵衛、三五石余の孫兵衛、二四石余の藤兵衛がおり、一石未満は三二人に上る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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