印鑰神明宮(読み)いんやくしんめいぐう

日本歴史地名大系 「印鑰神明宮」の解説

印鑰神明宮
いんやくしんめいぐう

[現在地名]山形市鈴川町二丁目

祭神は天照大御神と豊受大神の二柱で、旧郷社。旧山形城下や近郷近在の人々よりお神明さまとよばれている。明和八年(一七七一)に記された当宮蔵の印鑰神明宮縁起によれば、陸奥鎮守府将軍に任ぜられ、陸奥国多賀たが(現宮城県多賀城市)に赴任中の大野東人が、天平九年(七三七)最上郡に出向して最上城を築いたとき同城の北東方山麓に伊勢皇大神宮を勧請し銀鑰を安置したという。これは東人が東国に出発するに先立って伊勢内宮に参詣し、蝦夷征討を祈願したとき、内宮神官中臣乙麿から授与され、東国に着任後、この銀鑰を捧持して進軍、陸奥・出羽両国を平定することができたためという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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