即成院(読み)そくじよういん

日本歴史地名大系 「即成院」の解説

即成院
そくじよういん

泉涌寺総門前の左側にある塔頭。明治八年(一八七五)京都市伏見区深草大亀谷東寺ふかくさおおかめだにひがしでら町から移され、泉涌寺塔頭となる。当院は伏見九郷の一つ即成就院そくじようじゆいん(現伏見区)の名ともなった寺であり、「拾芥抄」に「伏見寺一名即成就院」とあるように即成就院・伏見寺ともよばれる。「雍州府志」によれば、正暦二年(九九一)に恵心が開創した光明こうみよう院が始まりで、そののち伏見長者と称された橘俊綱が同所に山荘を営み、山荘の傍ら光明院を移して持仏堂としたのが即成就院であるという。場所は桃山ももやま江戸えど(現伏見区)付近と伝える。建久六年(一一九五)宜陽門院と高階栄子によって再興され、下野国那須なす荘を寺領として寄せられたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の即成院の言及

【伏見】より

… 山荘に付属した土地は藤原氏の荘園であったらしく,1160年(永暦1)後白河院庁下文(くだしぶみ)には,〈彼庄領主俊綱以下,雖多其数,数十余年〉とある。俊綱は弟の家綱にこれを譲り,家綱は白河院に献上,白河院は甥源有仁に譲り,有仁はこの山荘に居住し,伏見寺(即成就院(そくじようじゆいん)・即成院)を営んだとされている。その後,有仁は養女の鳥羽院皇女頌子(しようし)内親王に伝領,頌子(五辻斎院)は平範家に本家職を留保して,領家または預所職のみを与えた。…

※「即成院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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