朝日日本歴史人物事典 「橘俊綱」の解説
橘俊綱
生年:長元1(1028)
平安時代の歌人。父は関白藤原頼通,母は 進命婦。頼通の正妻である隆姫をはばかって,讃岐守橘俊遠の養子とされた。讃岐,但馬などの受領を歴任。財力に富み富裕な生活を送ったが,特に伏見にあったその邸宅は豪壮と風流で名高く,能因,良暹,藤原範永など多くの人々が来訪し,しばしば歌合や歌会の場ともなった。歌人として『後拾遺集』以下の勅撰集に12首が入集するほか,風流人としても知られ,笛や笙にまつわる話など音楽に関連する説話が多く,また造園について記した『作庭記』の著者ともされる。尾張国の聖人の生まれ変わりとして熱田大宮司に報復した話など,後世,多くの説話の主人公ともなっている。
(山本登朗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報