厚田 雄春
アツタ ユウハル
昭和期の映画カメラマン
- 生年
- 明治38(1905)年1月1日
- 没年
- 平成4(1992)年12月7日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 海城中卒
- 主な受賞名〔年〕
- ブルーリボン賞撮影賞〔昭和26年〕「麦秋」,アジア映画祭撮影賞〔昭和33年〕「彼岸花」,毎日映画コンクール撮影賞〔昭和37年〕「秋刀魚の味」,勲四等瑞宝章〔平成2年〕
- 経歴
- 大正11年松竹合名社に入社。13年松竹蒲田撮影所へ転社。昭和3年小津安二郎の第2作「若人の夢」で撮影助手となり、戦中の「戸田家の兄妹」でカメラマンとして一本立ちする。22年フリーとなり、小津作品の後半をほぼ全作担当。他の作品に「晩春」「お茶漬の味」「東京物語」「秋刀魚の味」などがある。60年に完成したヴィム・ヴェンダース監督の“小津映画への巡礼の旅日記”「東京画」に出演した。著書に「小津安二郎物語」(蓮實重彦と共著)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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厚田雄春 あつた-ゆうはる
1905-1992 昭和時代の映画カメラマン。
明治38年1月1日生まれ。大正13年松竹蒲田(かまた)撮影所にはいり,のち撮影監督となる。「麦秋」「彼岸花」など小津安二郎監督のほとんどの作品の撮影を担当した。平成4年12月7日死去。87歳。兵庫県出身。海城中学卒。著作に「小津安二郎物語」(共著)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の厚田雄春の言及
【小津安二郎】より
…E.ルビッチをはじめとするアメリカの作家たちへの偏愛は,《その夜の妻》(1930)や《非常線の女》(1932)のごとき無国籍的犯罪映画の佳作を生んだが,坂本武を主演に迎えた《出来ごころ》(1933)の成功で,庶民的な哀感の世界を描いた〈喜八物〉に転じ,《[浮草物語]》(1934)や《東京の宿》(1935)を発表。茂原英雄によるトーキー技術の開発を待ってサイレントを撮り続けたが,《一人息子》(1936)で音響の世界に接し,大船の新撮影所で,新たなカメラマン厚田雄春とともに《戸田家の兄妹》(1941)や《父ありき》(1942)で〈小津調〉を確立。戦後は笠智衆と原節子とを主演に迎えた《[晩春]》(1949),《麦秋》(1951),《[東京物語]》(1953)が名高いが,いずれも野田高梧との共同脚本。…
【東京物語】より
…白黒スタンダード。脚本は監督自身と名コンビの野田高梧,撮影は《戸田家の兄妹》(1941)以来常連の厚田雄春,音楽はこの作品から常連になる斎藤高順。地方から上京した老夫婦(笠智衆,東山千栄子)が血縁の子どもたちの家に快く迎えられず,逆に戦死した息子の嫁(原節子)にもてなされるという題材は,アメリカ映画《明日は来らず》(レオ・マッケリー監督,1937)に想を得たものといわれるが,召集中の小津はその映画を見ておらず,それは野田高梧の脚本に影響を与えたにとどまる。…
【晩春】より
…戦後の小津が脚本家の野田高梧(1893‐1968)と組んで[原節子]を初めて主演に迎えた記念すべき作品。撮影は小津との名コンビで知られる厚田雄春(ゆうはる)(1905‐92)で,笠智衆(1904‐93)が婚期の娘をもつやもめの父親役という戦後の小津映画のパターンを作った。父と娘との近親相姦的とも思える愛情を端正な画調で巧みに緩和し,あたかも欲望を超越したかのごとき雰囲気を出すことに成功した小津は,《父ありき》(1942)以来の片親の主題を,のちに《秋日和》(1960),《[秋刀魚の味]》(1962)などで変奏する基礎を築いた。…
※「厚田雄春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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