20世紀日本人名事典 「原抱琴」の解説 原 抱琴ハラ ホウキン 明治期の俳人 生年明治16(1883)年2月5日 没年明治45(1912)年1月17日 出生地岩手県盛岡市 本名原 達 別名別号=迂人,夏子 学歴〔年〕東京外国語学校仏文科卒,東京帝大法科中退 経歴原敬の甥。明治32年春から俳句を正岡子規に師事。「ホトトギス」「日本」に投句。同門の松根東洋城、赤木格堂、松下紫人らと交遊があった。同年盛岡で岩動炎天、野村菫舟らが杜陵吟社を結び、36年「紫苑」を創刊するにおよび顧問となる。病弱だったため、子規は「同病相憐」と前書し、「寝床並べて苺喰はばや話さばや」の句を作っている。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原抱琴」の解説 原抱琴 はら-ほうきん 1883-1912 明治時代の俳人。明治16年2月5日生まれ。原敬(たかし)の甥(おい)。正岡子規にまなび,赤木格堂,松根東洋城と句作をきそった。明治36年盛岡で創刊の「紫苑(しおん)」の選者となる。明治45年1月17日死去。30歳。岩手県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。本名は達。別号に迂人,夏子。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by