岩動 炎天
イスルギ エンテン
大正・昭和期の俳人,医師
- 生年
- 明治16(1883)年9月9日
- 没年
- 昭和38(1963)年2月3日
- 出生地
- 岩手県紫波郡紫波町
- 学歴〔年〕
- 京都府立医大卒
- 経歴
- 中学時代から俳句をはじめ、子規に師事して「ホトトギス」などに投句する。京都府立医大在学中に「懸葵」の同人となり、卒業後は新潟、山口、北見などに医師として転任する。昭和3年から12年にかけて「俳星」主幹をつとめ、その間5年に埼玉県上尾に医院を開業。句集に「片雲」(昭37)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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岩動炎天 いするぎ-えんてん
1883-1963 大正-昭和時代の医師,俳人。
明治16年9月9日生まれ。正岡子規,石井露月に師事し,「ホトトギス」「渋柿」「俳星」などに投句。昭和3年「俳星」4代主幹,16年から「俳諧(はいかい)深耕」を主宰した。昭和38年2月3日死去。79歳。岩手県出身。京都医専(現京都府立医大)卒。本名は康治。句集に「片雲」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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