朝日日本歴史人物事典 「原田三郎右衛門」の解説
原田三郎右衛門
生年:生年不詳
江戸中期,対馬での甘藷栽培,普及の功労者。対馬国(長崎県)上県郡仁田村久原の貧農の次男。薩摩(鹿児島県)から対馬に甘藷をもたらした人物として知られる。正徳5(1715)年,薩摩国に潜入して甘藷の栽培技術を習得。ひそかに芋種を対馬に持ち帰り,故郷久原で試植に成功した。さらに対馬藩に願い出て津柳村(上県郡峰町)に甘藷を移植。藩では甘藷を孝行芋と称してその栽培を奨励,ほどなく全島に普及をみた。その功により対馬藩では,妻子のない三郎右衛門に,甘藷の作人から孝行芋銭の取り立てを認め,この合力銀が,もっぱら彼の生計を支えた。<参考文献>『新対馬島誌』『長崎県史・藩政編』
(葉山禎作)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報