陶山鈍翁(読み)スヤマドンオウ

デジタル大辞泉 「陶山鈍翁」の意味・読み・例文・類語

すやま‐どんおう〔‐ドンヲウ〕【陶山鈍翁】

陶山訥庵

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精選版 日本国語大辞典 「陶山鈍翁」の意味・読み・例文・類語

すやま‐どんおう【陶山鈍翁】

  1. 江戸中期儒者対馬国(長崎県)の人。名は以直、のち存(ながろう)。字(あざな)は士道。通称庄右衛門。別号訥庵(とつあん)。京・江戸に遊学木下順庵に学んだ。帰国し、対馬藩郡奉行などを勤め、朝鮮に五度使いし多くの治績を残した。特に、農政に通じ、猪鹿を根絶してその害を除いた。雨森芳洲親交があり、対馬聖人の称がある。著に「農政問答」「水利問答」「猪鹿追詰覚書」など。明暦三~享保一七年(一六五七‐一七三二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「陶山鈍翁」の意味・わかりやすい解説

陶山鈍翁
すやまどんおう
(1657―1732)

江戸中期の儒者、農政家。名は存(ながらう)、通称庄右衛門(しょうえもん)。鈍翁のほか、士道(しどう)、訥庵(とつあん)とも号した。明暦(めいれき)3年11月28日、対馬(つしま)藩の儒医の子として府中(ふちゅう)に生まれる。寛文(かんぶん)年中(1661~1673)江戸に出て木下順庵(きのしたじゅんあん)に学び、のち大和(やまと)に赴き心学を修めた。1673年(延宝1)帰国して藩に仕え、1680年家督を嗣(つ)ぎ100石を知行(ちぎょう)。1685年(貞享2)に『宗氏家譜』の編纂(へんさん)に従事、1698年(元禄11)久留米(くるめ)藩との筑後(ちくご)川境争いを解決し、その功により禄(ろく)50石を加増され、翌1699年郡奉行(こおりぶぎょう)となる。1700年(元禄13)より猪害(ちょがい)駆除に努力、10余年で数万頭のイノシシを除き、農業振興や対朝鮮貿易の増大に努めた。1708年(宝永5)郡奉行を辞し、同年3月に隠退し著述に従事。『水利問答』(1722ころ)『農政問答』(1716〜1736ころ)など120余の著書をなす。享保(きょうほう)17年6月24日病没。対馬府中の修善庵に葬られる。

長野 暹 2016年5月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「陶山鈍翁」の意味・わかりやすい解説

陶山鈍翁 (すやまどんおう)
生没年:1657-1732(明暦3-享保17)

近世中期の儒者,対馬藩士。名は存(ながろう),字は庄右衛門,訥庵とも号した。対馬藩府中城下に生まれ,幼にして京都の木下順庵に学び,17歳で帰国。学者として活躍し,登用されて郡奉行となる。当時島内の焼畑農業の大敵であった野猪8万頭の絶滅に成功した。引退後は宿願の焼畑農業の改善をはかるため《土穀談》《老農類語》等,多数の著作に励んだ。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「陶山鈍翁」の解説

陶山鈍翁 すやま-どんおう

1658*-1732 江戸時代前期-中期の儒者。
明暦3年11月28日生まれ。対馬(つしま)(長崎県)府中藩士。木下順庵にまなび,朝鮮支配佐役,郡奉行をつとめる。島のイノシシを退治し,サツマイモを移入,農業を振興した。享保(きょうほう)17年6月24日死去。76歳。名は存(ながろう)。字(あざな)は士道。通称は庄右衛門。別号に訥庵(とつあん)。著作に「農政問答」「老農類語」など。

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367日誕生日大事典 「陶山鈍翁」の解説

陶山鈍翁 (すやまどんおう)

生年月日:1657年11月28日
江戸時代前期;中期の儒学者
1732年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の陶山鈍翁の言及

【老農類語】より

陶山鈍翁が1722年(享保7)に編集した農業指導書。鈍翁は対馬藩の郡奉行をつとめ“対馬聖人”と善政をたたえられた。…

※「陶山鈍翁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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