デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「厳覚」の解説 厳覚 ごんかく 1056-1121 平安時代中期-後期の僧。天喜(てんぎ)4年生まれ。源基平の子。園城(おんじょう)寺の行尊(ぎょうそん)の弟。真言宗。京都東寺の信覚から,のち曼荼羅(まんだら)寺の範俊(はんじゅん)から灌頂(かんじょう)をうけ,小野流をきわめる。勧修寺長吏をへて東寺二長者。権大僧都(ごんのだいそうず)。門下にのち小野三流をたてた増俊,寛信(かんじん),宗意らがいる。保安(ほうあん)2年閏(うるう)5月8日死去。66歳。法名は「げんかく」ともよむ。 厳覚 げんかく ⇒ごんかく 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「厳覚」の解説 厳覚 没年:保安2.閏5.8(1121.6.24) 生年:天喜4(1056) 平安後期の真言宗の僧。源基平の子で,仁和寺の覚意,三井寺の行尊の弟。勧修寺に密教を修学し小野流を究め,のちその長吏および東寺二長者となる。最高位は大僧都。仁海の流れを汲むゆえか,請雨などの霊力に長じていたと伝わる。当時,密教修法は些細な違いをもって分派する傾向が強まりつつあり,厳覚は主な弟子3人に覚信→勧修寺流,宗意→安祥寺流,増俊→随心院流をそれぞれ開かせ,真言密教の2大流派のひとつたる小野流の勢力拡大を図った。 (正木晃) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報