日本歴史地名大系 「口戸村」の解説 口戸村くちどむら 大分県:大分市旧大分町地区口戸村[現在地名]大分市口戸高城(たかじよう)村・秋岡(あきおか)村の西にある。北東流する七瀬(ななせ)川を挟んで集落が展開、南部は丘陵地帯。肥後街道が北東市(いち)村から当村に入り西隣の木上(きのうえ)村に向かう。正保郷帳に村名がみえ田高三二七石余・畑高四四石余、早田(わさだ)庄に所属。領主の変遷は宮崎(みやざき)村に同じ。寛文七年(一六六七)木上村との間で浅草(あさくさ)山の境争論が起きている(柳井家文書)。薪が豊富で、請山請藪として高城村・世利(せり)村に下請させた。 口戸村くちどむら 茨城県:下館市口戸村[現在地名]下館市口戸北は樋口(ひぐち)村、東は折本(おりもと)村。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏の支配地となり、江戸時代は寛永一九年―寛文三年(一六四二―六三)の在番時代を除き、下館藩領。元和九年(一六二三)水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)に、村高一二九・二九七石とあり、天保八年(一八三七)の常陸御国絵図御改之記(同文書)には、鎮守羽黒権現、家数一〇、馬八とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報