古館村(読み)ふるだてむら

日本歴史地名大系 「古館村」の解説

古館村
ふるだてむら

[現在地名]山形市古館・東古館ひがしふるだて替所かえしよ志鎌しかま土屋倉つちやぐら並柳なみやなぎ

反田そりだ村の南に位置し、川の西岸平地に立地。ただし枝郷志鎌は同川東岸にあった。中世の館跡があり、「補出羽国風土略記」に「若木村の内古館と云ふ所に有、地形の高一丈三尺、麓の廻六丁廿七間、本丸南北へ五十九歩、東西江廿歩、大手道一丁十四歩有」とみえる。館は最上氏時代のものと推定されている。領主の変遷は延享四年(一七四七)までは反田村と同じ。

古館村
ふるたてむら

[現在地名]中条町古館

東は十二天じゆうにてん村、南東高野たかの村、西は江尻新えじりしん村に接する。元和九年(一六二三)六月の堀直寄知行宛行目録(「堀鉄団公記」所収)に「黒川組古館村」とあり、高三六五石三斗余が近藤長三郎に宛行われている。正保国絵図には「古楯村 二百□十石余」と記される。村上藩領に属し、宝永六年(一七〇九)幕府領。正徳二年(一七一二)上古館・下古館に二分された。下古館は同年以後旗本松平領。

古館村
ふるだてむら

[現在地名]青森市古館

駒込こまごめ川東岸、浜館はまだて村の西にある。

延宝八年(一六八〇)横内組につくられた派立新田二千八〇〇石のうちの一村である(津軽歴代記類)。貞享元年(一六八四)の郷村帳に高九三二・四石とあるが、当村をさすか疑問がある。同四年の検地帳には、田方一七町五反四畝、畑方一三町八反一畝二四歩、田畑屋敷合せて三一町三反五畝二四歩、村高一四〇・〇一石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報