右田村
みぎたむら
[現在地名]九重町右田
恵良村の南方、玖珠川とその支流野上川の右岸流域を占める。西部に河上岳、その東に青野山がある。中世は飯田郷の内としてみえる。明応八年(一四九九)正月二五日の末武長安に与えた大内義興感状(末武与五郎文書)に「玖珠青内山合戦」とあり、前年一一月七日に青内山で大友軍との激戦があったことがわかるが、同山は青野山と考えられる。この合戦は文亀二年(一五〇二)五月二三日の末武長安に与えた大内義興下文(同文書)でも言及され、長門・豊前二国二〇石の地を宛行われているが、大内氏の一族右田弘量が討死している。右田氏は大内盛房の弟で周防国佐波郡右田(現山口県防府市)を領した盛長を始祖とする。青野山山頂には明応の頃までは天台密教寺院があったが、この合戦で戦火にあい、南側山麓重原に下りてきたのが、青野山尊光寺である。同寺は幕末までここにあったが、再び山を下り現在は右田中村にある。同じく北側山麓に下ったのが子安観音堂で、松木の川上の仏が岩に祀ってある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報
Sponserd by 