吉井藩陣屋跡(読み)よしいはんじんやあと

日本歴史地名大系 「吉井藩陣屋跡」の解説

吉井藩陣屋跡
よしいはんじんやあと

[現在地名]吉井町吉井 旧陣

上信電鉄の線路より南、吉井小学校・中央公民館一帯を遺跡とする。吉井藩松平氏の陣屋跡。「闇燈要記」などによると、宝暦二年(一七五二)矢田やた村から当地に移り農家を役所としていたが、同八年に完成し移転する。以後、幕末期の拡張を経て廃藩置県に至るまで続く。吉井領は天正一八年(一五九〇)菅沼定利が給され子忠政が継ぎ、慶長一五年(一六一〇)安藤重信に給される。天和二年(一六八二)堀田正休が上州・武州で一万石を給され吉井に住した(「寛政重修諸家譜」など)。延宝二年(一六七四)関白鷹司信房の子信平が碓氷うすい郡など上州四郡のうちと上総国内で七千石を給され、宝永六年(一七〇九)孫の松平信清が三千石の加増を受け一万石を領して矢田居所とし、信友の時の宝暦二年に陣屋を移した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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