日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉井藩」の意味・わかりやすい解説
吉井藩
よしいはん
上野(こうずけ)国多胡(たご)郡吉井(群馬県高崎市吉井町吉井)に陣屋を置いた家門(前期譜代(ふだい))藩。徳川家康関東入国の際、菅沼定利(すがぬまさだとし)が2万石に封ぜられたが、養子忠政(ただまさ)(松平)が1602年(慶長7)美濃加納(みのかのう)(岐阜市)に移封。その後安藤信正(のぶまさ)の所領を経て、1682年(天和2)堀田正休(ほったまさやす)(1万石)が吉井を居所としたが、1698年(元禄11)近江(おうみ)(滋賀県)に移って一時廃藩。1709年(宝永6)鷹司(たかつかさ)(松平)信清(のぶきよ)が1万石で入封し、以後維新まで10代在封した。鷹司氏は初め矢田(やだ)に陣屋を置いた(矢田藩)がのち吉井に移し、1868年(明治1)吉井氏と改称した。翌年12月廃藩。岩鼻県、群馬県、熊谷(くまがや)県を経て、1876年、現在の群馬県に編入された。
[山田武麿]
『井上清著「吉井藩」(『上州の諸藩』所収・1981・上毛新聞社)』