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安藤重信 あんどう しげのぶ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安藤重信 あんどう-しげのぶ

1557-1621 織豊-江戸時代前期の大名。
弘治(こうじ)3年生まれ。安藤基能(もとよし)の次男。安藤直次の弟。徳川家康・秀忠につかえ,小牧・長久手(ながくて)の戦い,関ケ原の戦い,大坂の陣で功をたてる。この間慶長16年老中。17年下総(しもうさ)小見川(おみがわ)(千葉県)1万6600石に入封。元和(げんな)5年加増され,5万6600石の上野(こうずけ)(群馬県)高崎藩主安藤家初代となる。元和7年6月29日死去。65歳。三河(愛知県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

安藤重信

没年:元和7.6.29(1621.8.16)
生年:弘治3(1557)
江戸時代前期の上野国高崎藩(群馬県高崎市)藩主。三河国(愛知県)生まれ。父は杢助基能,直次は兄。通称は彦十郎,五左衛門,対馬守に任ぜられる。はじめ徳川家康に仕えたが,慶長5(1600)年の関ケ原の戦では徳川秀忠に付けられ信濃国上田城攻めに参加。同16年秀忠の側近として江戸幕府加判の列(老中)に加わり,翌17年下総国内に1万石を加増され1万6600石を領し大名となる。元和5(1619)年福島正則改易の際には広島城受け取りの任に当たり,同年上野国高崎に移り5万6600石を領す。また,軍船を建造中であった筑前国福岡藩の取り潰しを機転により救ったといわれている。

(小柴良介)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

あんどうしげのぶ【安藤重信】

1557‐1621(弘治3‐元和7)
江戸初期の譜代大名。上野高崎藩主。三河国に生まれ,1584年(天正12)小牧・長久手の戦に参陣。関ヶ原の戦には徳川秀忠の信濃上田城攻めに従う。1611年(慶長16)加判の列に加わり,翌年下総香取・結城両郡において1万石を領す。大坂冬・夏の両陣に従い,2万石を加増された。19年(元和5)福島正則の改易にあたって広島城受取りの役を務め,同年上野高崎5万4000石に転じた。【藤井 譲治】

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