吉備公(読み)きびこうびよう

日本歴史地名大系 「吉備公」の解説

吉備公
きびこうびよう

[現在地名]真備町箭田

吉備寺の南西隣、天神山にある。宝亀六年(七七五)に没した右大臣吉備真備の墓と伝える。真備は下道郡出身で、はじめ下道真備と称した。霊亀二年(七一六)留学生として入唐、帰朝後は学者・政治家として称徳天皇の信任を得、位官を昇任した。山中に横穴式の古墳があって、古くから真備の墓と伝えられていた。古河古松軒「吉備の志多道」にも「昔時より吉備公御墳墓なりといひ」とあり、元禄年中(一六八八―一七〇四)に岡田藩主伊東長貞が墳墓を開き、棺内より脛骨の長い人体骨が出土したので真備の長身伝承より真備廟に決定したという。

宝暦(一七五一―六四)末頃の「中国行程記」(山口県萩市郷土博物館蔵)には山陽道右側に棒杭が描かれ「吉備大臣廟所へ三町」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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