20世紀日本人名事典 「吉原三郎」の解説 吉原 三郎ヨシワラ サブロウ 明治・大正期の官僚 内務次官;東洋拓殖総裁。 生年嘉永7年3月8日(1854年) 没年大正5(1916)年11月16日 出身地上総国(千葉県) 学歴〔年〕帝国大学卒 経歴十郎の三男に生まれる。初め衆議院書記官となり、ついで埼玉・大阪・愛知の各府県書記官を経て、香川・岡山・富山の各県知事、内務省地方局長を歴任。明治39年内務次官に就任し、退官後、錦鶏間祗候となる。41年東洋拓殖に入り副総裁、大正2年総裁を務め、朝鮮の産業開発に尽力したが、5年病を得て退任。茶道に通じ、また書画骨董を愛玩し官界にて風雅の士として知られた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉原三郎」の解説 吉原三郎 よしわら-さぶろう 1854-1916 明治-大正時代の官僚。嘉永(かえい)7年3月8日生まれ。愛知県書記官,香川県・岡山県知事,内務省地方局長をへて明治39年内務次官となる。41年東洋拓殖にはいり,副総裁,総裁をつとめた。大正5年11月16日死去。63歳。上総(かずさ)(千葉県)出身。帝国大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by