吉原俄(読み)ヨシワラニワカ

デジタル大辞泉 「吉原俄」の意味・読み・例文・類語

よしわら‐にわか〔よしはらにはか〕【吉原×俄】

江戸吉原遊郭で行われた即興芝居。享保年間(1716~1736)に始まり、毎年8月中旬から9月中旬まで街頭屋台の上で幇間ほうかん芸者などが演じた。

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精選版 日本国語大辞典 「吉原俄」の意味・読み・例文・類語

よしわら‐にわか よしはらにはか【吉原俄】

〘名〙 (「俄」は「俄狂言」の略) 江戸時代、江戸吉原の遊郭で行なわれた即興の寸劇。明和四年(一七六七)以来毎年八月一日から一か月間行なわれ、夜桜玉菊灯籠とともに吉原三大景物の一つ。吉原の茶屋桐屋伊兵衛という者の思いつきで、同好の士とともに即興の狂言をこしらえて吉原中の町を演じ歩いたのが評判となり、引き続いて二、三日、趣向を替えて演じたのが始まりという。吉原のにわか。

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世界大百科事典(旧版)内の吉原俄の言及

【茶番】より

…〈立茶番〉は〈俄(にわか)茶番〉ともいい,鬘(かつら)や衣装をつけて芝居もじりのユーモラスな寸劇を演ずるもので,上方の〈〉と同じようなものであった。江戸では享保(1716‐36)のころに,すでに吉原の九郎助稲荷の祭礼に〈吉原俄〉が催されており,茶番に類した遊びの歴史はかなり古い。天明期における8月の〈吉原俄〉は江戸でよく知られた。…

【俄】より

…現在大阪俄は1981年に最後の俄師ともいわれた2代目一輪亭花咲が没したあと,落語家の露乃五郎が3代目を継いで保存に努めている。 江戸の吉原俄は1923年の関東大震災以降衰滅したが,九州の福岡,熊本,佐賀などには現在も細々と残されている。俄の特徴の一つに,方言だけを用いることが挙げられるが,九州各地の俄も,それぞれのお国言葉で行われる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」