吉志部村(読み)きしべむら

日本歴史地名大系 「吉志部村」の解説

吉志部村
きしべむら

[現在地名]吹田市岸部北きしべきた一―五丁目・岸部中きしべなか一―五丁目・岸部南きしべみなみ一―三丁目・南正雀みなみしようじやく一―五丁目・芝田しばた町・平松ひらまつ町・目俵めだわら町・天道てんどう町・吹東すいとう町など

岸部・岸辺とも書く。平安時代後期以降近世初頭に至る吉志部村は千里丘陵南東部の紫金しきん山周辺から神崎川右岸に広がる地域を占め、近世には同地域に吉志部を冠する七尾ななつおひがしみなみ小路しようじの四村および吉志部村が成立、五村合せて岸部郷ともよんだ。

〔古代・中世〕

垂水東たるみのひがし牧に属した。長寛二年(一一六四)七月日付の垂水東牧吉志部村熊里定使藤井貞宗重申状(陽明文庫蔵「兵範記」仁安二年秋巻裏文書)によれば、吉志部村内の朝日原領に奈良春日神社御供田の用水池として藤井貞宗が築いたたけ池があった。当時垂水東牧の公文山田助俊や次(吹)田成俊らは住人と語らい、彼らを使役して牧内に新田を開発しながら、春日社へ御供米を納入しないので、藤井貞宗がこれを譴責したところ、彼らは竹池の堤を切り暴力沙汰に及んだという(→垂水東牧。鎌倉時代の状況は不明で、外院げいん(現箕面市)をめぐって浄土じようど(跡地は現京都市左京区)勝尾かつお(現箕面市)が争った建武元年(一三三四)、勝尾寺側に立って外院庄に乱入した悪党に岸辺に居住したり名田畑を所持する者があり、吉志部村の住人のなかには、本所近衛家の支配に属しながらも勝尾寺など周辺の領主と結んで在地に勢力を張る者がいた(建武元年二月日「近衛家領居住寺僧交名注文案」・同年八月日「浄土寺僧正坊公文所行心申状案」勝尾寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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